2026/02/07 07:30

2026年2月1日(日)

石川県の珠洲という町の日の入り時間を調べる。珠洲に住む、恋人の友人夫婦に、昨年2人でお邪魔したときの写真を送りたくて、でもそれだけではせっかく贈り物ができる機会がもったいない気がして、おまけとして2026年のカレンダーをつくって送りつけることにしたのだ。そして、あの家の2人と3匹のためなら、満月の日と日の入り時間がわかるものがいいな、と思ったのだった。あたりまえだけど隠岐と珠洲では日の入りが違って、犬たちは悲しいかもだけど珠洲の太陽は少し長めに休めていいな、とそんなわけないことを考える。日の入りが一番遅い日が夏至ではないこともはじめて知って、へーおもしろいな、と思った。今日の珠洲の日の入りは17:14、隠岐では17:32。隠岐の太陽はがんばっていてえらい。


2026年2月2日(月)

出張1日目。友人との夜ごはんに選んだ火鍋のお店は、おめでたい場所だった。あっちの席で誕生日を祝ったと思ったら今度はこっち。2時間ちょっとの滞在で、すくなくとも6つのお祝いに居合わせた。(途中から数えるのをやめてしまったし、意識が薄れて気づかなかったものもたぶんある。)こんなに祝っていたら機械的になってしまいそうなのに、店員さんも祝う側も祝われる側もみんな幸せそうでよかった。このお店には麺を回して楽しませる人、とてつもないスピードで机を磨く人がいて、みんなプロフェッショナルだった。


2026年2月3日(火)

出張2日目。秋葉原のホテルから上野まで歩く。カフェにラーメン屋、本屋にカラオケ、目線があちこちに散らばって忙しかった。ふと、自分が隠岐に住みたかったのは、主張の少ない町だからかもしれない、と思った。大きな看板を持って客引きする人はいないし、店頭に「特価!〇〇円」と書かれていることもない。客としても、お店を始めるうえでも、うるさくないのは/うるさくしないでいいのはいいな。

そういえば、「ボストンでは、広告はおろか、自分の店の名前も外に大きくだすことは、街中で禁止している」らしい。佐藤雅彦さんは、ボストンに行って、「うるささ(騒音)とは、音だけの問題ではないと、頭の中ではわかっているつもりでいたが、このように、街ぐるみで長い間そのことを遵守してきた現場へ実際来てみると、そのことが本当によくわかった」と語っていた(『毎月新聞』より)。彼が行ったのは1999年のことだけど、今も変わっていないのだろうか。いつか確かめに行きたい。


2026年2月4日(水)

出張3日目。またしても夜ごはんのこと。「これとこれが食べたいです」と伝えると、「それを入れて、前菜の盛り合わせにもできますよ」と感じのいいお兄さん。自分で選ぶよりお店の人に任せるのがよいと思っているので、「じゃあ、盛り合わせでお願いします」と返す。しばらくして出てきたお皿をみると、食べたかったもののうち片方は入っていたけれど、もう片方は忘れられていた。

かわいそうなフリッタータ…。代わりに思いもしなかったものが食べられていいな。のほほんと食べ始めようとすると、こういうとき店員さんに伝えるか否かの話になった。能天気で申し訳ない、何も考えていませんでした。この日記を読んでいることと思うので、この場で謝罪をしておきます。そして、あなたのことを思い浮かべていたら、はじめて仕入れる新刊が『音を立ててゆで卵を割れなかった』と『旅の彼方』になったことも伝えておきます。


2026年2月5日(木)

出張4日目、隠岐に帰島。毎日じゃないか、と思うくらいに降って、木々に道に、いたるところに積もっていた雪が溶けていた。歩きやすくて楽しかった。そういえば昨日が立春だったんですって。せっかくなので、いつか神保町の古本屋から連れ帰った山本健吉『ことばの歳時記』(1983年)を引っ張り出す。

日本人は水とか平和とかを、ただで手に入ると思っている、ユダヤ人にとってこの二つは、大金をい支払っても手に入れたい大事なものなのである。ーー

「立春」の頁は、イザヤ・ベンダサン氏の一言から始まっていた。なるほど、立春とは、太陽への感謝と賞讃の日なのか。雪の降らない町から引っ越してきて、今ならわかる気がした。


2026年2月6日(金)

髪の毛をくるくるにしてもらって気分がいい。踊っているみたいで、踊りたくなってしまいそうなくらい いい。浮かれていたら図書館で本を5冊借りていたし、新しく10冊も新刊を仕入れていた。まいった。落ち着きたいときは無心で料理をするに限る。そう思い、帰宅してトマトクリームパスタをつくる。誕生日祝いにいただいた小鹿田焼の器に盛り、プレゼントをくれた人に写真と「(いつか振る舞う)ランチの練習」とメッセージを送る。やっぱり浮かれている。


◇◇◇◇◇


新刊を仕入れるべく、気になる本をメモしていると、「往復書簡」「対話」と説明されているものが多いことに気づく。在日韓国人三世とルーマニア人による『ガラスと雪のように言葉が溶ける』、美学者と宅老所代表による『ぼけと利他』、高橋悠治と坂本龍一による『長電話』、などなど。

それぞれの本がすてきなのはもちろんだけど、自分自身が、ひとりでないときの広がりを求めているのかもしれない、と思う。きっと、ひさしぶりの東京出張で、会話が思いがけないところに飛んでいくのがおもしろかったからだろう。この日記の場所でも、誰かと一緒に何かできたら楽しいかもしれない。

そういえば、こんなただの日記を読んでくれている友人がいることを知って嬉しかったので、もしこれを見た人がいて、喜ばせてやってもよいぞと思ったら、ぜひ教えてください。

ともあれ、来週もすてきな日々になりますように。(2026.2.7)


[登場した本]
佐藤雅彦『毎月新聞』(中央公論新社、2009年)
生湯葉シホ『音を立ててゆで卵を割れなかった』(アノニマ・スタジオ、2025年)
若菜晃子『旅の彼方』(アノニマ・スタジオ、2023年)
山本健吉『ことばの歳時記』(文藝春秋、1983年)
尹雄大、イリナ・グリゴレ『ガラスと雪のように言葉が溶ける』(大和書房、2025年)
伊藤亜紗、村瀨孝生 『ぼけと利他』(ミシマ社、2022年)
高橋悠治、坂本龍一『長電話』(バリューブックス・パブリッシング、2024年)

[写真]
2025年8月24日。隠岐、18:56